吹鳴条件と音との関係 (1)偏心値

吹鳴条件のうち,偏心値条件は「ジェットとエッジの距離」を意味する条件です.フルートの教則本で「偏心値」という単語を見かけたことは無いため,おそらく演奏者は「吹込み角度」と「偏心値」を区別しておらず,両方あわせて「息を狙う方向(もしくは角度)」のように知覚しているのかもしれません.しかし,物理系の研究では,角度に関する条件「吹込み角度」と距離に関する条件「偏心値」に分解して考えています.

偏心値条件を変化させると音がどう変化するかについては,これまで理論的な研究がなされてきました1, 2.吉川2の研究によると,偏心値に伴って基音および倍音の音圧レベルが図1のように変化することが示されています.図1の横軸は偏心値,縦軸は音圧レベルを表し,基音はI, 第2倍音はII,第3倍音はIIIです.偏心値がゼロ(ジェットがちょうどエッジに当たる条件)のときに奇数次倍音(I, III, V)の音圧レベルが最も大きくなり,偏心値がある程度大きくなると(ジェットがある程度エッジから離れると)奇数次倍音が減少して偶数次倍音(II, IV)が増加することが示されています.この図は理論的なものであり,実際の楽器の音が必ずしもこの通りになるわけではありませんが,偏心値条件を変化させることで倍音どうしの相対的な音圧レベル関係(倍音構造)が変化することについては,フルートを対象とした実験からも確かめられています3,4.(図1についての,もう少し詳しい説明は,補足aをご参照ください.)倍音構造は,聴感上,音色の印象に関わると考えられています5.そのため,偏心値条件は音色変化に関わる条件と言えます.実際の楽器で,倍音構造がどう変わるかについては,現在も継続的に研究が行われています.

図1 偏心値と倍音構造2


補足

a 図1について,もう少し解説します.

  • 偏心値条件を変えると,ジェットがどのタイミングでどれくらい共鳴管に流入するか(共鳴管流入流量)が変化します.参考資料1の研究では,共鳴管流入流量をフーリエ変換し,各周波数における流量の振幅を算出しています.参考資料2の研究では,その流量の振幅からさらに,放射音の音圧レベルを算出し,図1のグラフを導き出しています.これら研究では,ジェットが上下対称に直進することが仮定されています.ジェットに含まれる高次の周波数での変動は考慮されておらず,ジェットは基音の周波数で変動していることが仮定されています.また,エッジの形状も考慮されておらず,ジェットとエッジの位置関係のみから倍音構造が計算されています.実際の楽器で起きうる複雑な条件や現象が考慮されていないため,実際の放射音と理論との違いが生じています.
  • 偏心値条件の変化にともなって,倍音の音圧レベルが図1のように放物線状に変化する傾向は,フルートを対象とした人工吹鳴実験からも確認されています4.音圧レベルの値は一致せずとも,偏心値条件に伴う倍音構造変化の傾向は,参考資料1,2の研究で示すことができていると考えられます.
  • 参考資料1,2の研究がなされたのは,1980年代です.楽器を対象としたコンピュータ・シミュレーションが行われていないこの時代に,物理現象を数式で表し,人間が自力で計算して,放射音の変化の傾向を妥当に予測したというのは物凄い功績だと思います.
  • 横軸の偏心値は,偏心値yj,eをジェット基準厚さhrefで無次元化した値です.
  • 実演奏で人間がどの範囲で偏心値条件を変化させているかについては,様々な推定が行われていますが,何れもこの図よりは狭い範囲となります.この図に示されているように,偏心値があまりにも大きい,つまり息があまりにエッジから離れすぎていると,基音が鳴りにくくなるため,ある程度エッジの近くに息が当たるように吹いているのだと思われます.
  • ただし,ジェットは偏向することもあり,奏者が狙っている位置に当たっているとは限らず,狙った通りの偏心値になるとは限りません4

参考文献

1 N. H. Fletcher and Lorna M. Douglas. Harmonic generation in organ pipes, recorders, and flutes. J. Acoust. Soc. Am. 68(3), 767-771, 1980.

2 S. Yoshikawa. Harmonic generation mechanism in organ pipes. J. Acoust. Soc. Jpn. (E)5(1), 17-29, 1984.

3 Y. Ando. Drive conditions of a flute and their influences upon sound pressure level and fundamental frequency of generated tone: an experimental study of a flute I. J. Acoust. Soc. Jpn. 26, 253−260, 1970.

4 K. Onogi, H. Yokoyama, and A. Iida. Effects of jet angle on harmonic structure of sound radiating from the flute. Acta Acust. 5(11), 2021.

5 Y. Ando. Drive conditions of a flute and their influences upon harmonic structure of generated tone: an experimental study of a flute II. J. Acoust. Soc. Jpn. 26, 297−305, 1970.